私は焼肉という「料理」を愛してやまないのですが、世の中の人全てがそうではないことは理解しています。
お肉が嫌いな人もいれば、同じ牛肉を食べるにしてもステーキ・しゃぶしゃぶなどの他の食べ方を好む方もいますし、いやいや肉は肉でも豚肉が好きなんだ!という方もいるでしょう。
これはもうダイバシティ、多様性です。
そして己のこだわりを愛する者同士であれば、お互いの主張を、ふむふむなるほどと頷きながら拝聴し、その考え方も一考あるな。と新しい考え方のエッセンスを得たりするのは非常に知的な行為だったりします。
しかし、世の中にはいるんですよ!!
人の好きなものに勝手に烙印を押してくる輩が。
いやいや好きな理由は聞いてて楽しいけど、嫌いな理由を挙げてくるのは違うでしょ?
私の愛する焼肉をディスってくるならば、こちらだって愛するものを守るために全力で反論させてもらいますよ。
異論反論オブジェクション!!YAKINIKU編 です。
焼肉は最終調理者が素人だから料理では無い??思考が停止してませんか?
良くある焼肉を貶める論法の一つに
最終調理者が素人だから料理じゃない。
というものがあります。
なるほど、たしかに最後まで店側が責任をもって調理を行い
「これがベストな状況です!」と提供するタイミングこそ至高のタイミングであり、それを放棄している焼肉は料理では無い、もしくは一段階下がるものだという論法は、一定の説得力があるようにも感じます。
日本の焼肉がミシュランの星を獲得できない理由としてよく言われるのも、この最終的な調理者が素人だから。と言われたりします。星を獲得した台湾の焼肉屋はお店の人が焼いてくれるフルアテンド型です。
しかし、
これ、本当でしょうか?
他の料理たちって焼肉と違って消費者である我々が技術介入せずに、お店側がベストと判断したタイミングで食べるものだけだったりするのでしょうか?
これ、思考停止に陥らず少しだけ脳みそ使ってみるとわかりますよ、そんなことはないことが。
例えば、「鍋」ってどうなるのでしょうか?
これ確実に料理としてのフォーマットは焼肉と同様です。
でも鍋料理が焼肉と同様に貶められていることって聞かないです(私が鍋業界にいないから?)
鍋もお店側が具を投入後出来上がりまでの時間は消費者側で任意の時間を設定できます。
これが焼肉と何が違うのでしょうか。
焼肉だけ不当に陥れられているから嫌というわけではないですが、少し考えれば同じフォーマットで提供されている料理があるのに焼肉だけ陥れられる意味がわかりません。
拡大解釈すると、天ぷらすら客側が味を決めているともいえる
拡大解釈すぎるかもしれませんが、私などは「天ぷら」すら焼肉と同様のフォーマットではないか?とも考えちゃいます。
天ぷらは衣を用いて対象となる具を蒸す料理ともいわれています。
油で揚げているようで、そうではないそうです。衣で油をシャットアウトしつつ熱だけ具に届けて、具から出てくる水分を持ちいて蒸している。と聞きました。
ということはですよ、職人さんが天ぷらを目の前に出してくれた後も、熱が入りながら調理が進んでいるという見方もできます。
すぐに食べた人と、少し時間をおいた人では味わいが、料理としての出来栄えが変わるはずなのです。
極論、目の前でアクティブに熱を入れているのか、パッシブに熱を入れているかの違いです。客側の判断によって。
これはつまり、焼き加減をコントロールできる焼肉とほぼ何も変わらないという見方もできるのです。(いやさすがに無理か)
とにかく、同じように消費者側のチョイスによって出来栄えが変わる料理は多数あるのに、焼肉は…という論調で語られるのは違和感なんです。
さらにもっと言いたいことがあるんです。
それは寿司の醤油から考える消費者への技術依存と、結局は価格の話です。
寿司の醤油って焼肉で肉焼くよりも料理の出来栄え変わりませんか?
私、この料理に対して最後に味を付加するのが消費者であることを理由に焼肉が貶められるのであれば、もっとひどい食べ物があると思っているんですよ。
それは寿司です。
寿司って、最後に醤油つけて食べるネタが多くあるじゃないですか?
あれ、醤油の付け方次第で味が変わるどころではなくて、料理自体が壊れてしまう非常に繊細な作業だと思うのです。
寿司の素晴らしい技術って空気を含みながら形を保っているシャリという素晴らしい土台を作ることだと思っています。
これは、超大人気グルメ漫画の「美味しんぼ」を読んでいるひとなら絶対理解してくれるはず。
出典:美味しんぼ
寿司CTの結果、素晴らしい寿司のシャリには空気が含まれていることが判明していますから。
醤油をつける作業って、このシャリが崩れてしまう危険性を時間軸でも直接触の問題からも孕んでいます。
素人が肉を焼くとか言っているレベルじゃないぐらい、客に依存している食べモノなんです(極論)
で、この話するといわれるんですよ
「高級な寿司屋では自分で醤油つけないよ」って…
いや、それ「焼肉」も一緒だから。
焼肉も一部の高級店になればフルアテンドで焼いてくれるスタイルの店も多数あります。
寿司も焼肉も、一般的なお店は消費者自身で最終調理
こだわりのお店(単価が高いことが多い)では、お店の人が最後の最後まで面倒見てくれます。
寿司、焼肉何が違うというのでしょうか?
つまり、何が言いたいかというと
- 焼肉を貶めようとする人が使う、客が調理しているからという理由は焼肉以外の料理でも客が最後に味を決められることから、焼肉だけの理由ではない。
- もっと客に技術が必要な食べ物もあることから、やっぱりこの理由だけをもって焼肉を貶めるのは無理筋。
ということです。
焼肉は同じような味付けが続き料理としての奥行きが無いとかいう奴に反論
最終調理者問題に決着をつけましたが、焼肉を陥れる言葉の中で
焼肉って肉に同じような味付けして焼いてるだけ、料理としての奥行きが無い
みたいなことを言っている人がいます…
…
……
………
大丈夫ですか?思考停止してませんか?
この理屈で言ったら
ステーキ、鉄板焼きも同じ理屈で劣るものになってしまいますよ。
いや、それらの料理は野菜やスープや、豊富なサイドメニューで、、、、
ある!
あるぞ!!
焼肉にも全部あるぞ!!
好んで食べるかどうかは別として焼肉にも野菜を用いたサラダ、手間暇かけた各種スープ類、世界有数の発酵食品などがワキを固めているではないですか。
もちろんお店によっては同じような味付けで上記の料理たちの食べ応えが無いことがあるのは認めましょう。でもそれってどの料理でも一緒ですよね?
なんで焼肉だけ奥行きがない、広がりがないとか言われないといけないのでしょうか。
まともな焼肉屋でまともな焼肉食べたことないだけなんではないですか?
ステーキ・鉄板焼きと比較していると、いやそうではなくてフランス料理や日本料理と比べると…みたいなこと言ってくるんですが、
大衆料理とその国を代表するような料理、、、比較します?
焼肉って庶民の食べ物じゃないですか?(少なくとも生まれたときは)
それをその国の文化の粋が集まったような、料理たちと比較すること自体が間違っている気がします。
もしどうしても比較するのであれば、焼肉界代表としては肉割烹のようなお店で出される料理の数々と比較すべきですよね?単価的にも。
焼肉もフルアテンドの焼肉を飛び越えて、肉割烹ぐらいまで行かないと釣り合いが取れないんです。
つまり無いが言いたいかというと、
- 比較対象間違えている人ってたぶん何も考えていない
- ラーメンと比較されるのであれば納得、いやまともな店のフランス料理と比較するのは間違っているでしょ。
です。
自分の好きを表現させてくれる素晴らしい料理が焼肉です。
焼肉好きの皆様においては、自称グルメの方々がいってくる思考0のどこかのだれかの意見をコピーしたようなディスは完全無視、もしくは論破してください。
そして焼肉に対して不当に低い評価をしていた人たちは胸に手を当てて考えてみてください。
その考え本当に自分の意見?誰かが適当に言ってたこと自分の意見にしていない?
ぜひ焼肉について5分でいいので思考してみてくれると、大体の批判が見当はずれなことと分かりますよ。よろしくです!!